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1: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:18:03 ID:BDFv
1(中)磯野員昌
2(遊)中村頼宗
3(三)斎藤利治
4(右)木沢長政
5(捕)湯川直春
6(一)白井胤治
7(二)稲津重政
8(左)松山重治
9(投)桜田元親

解説は需要があれば書く


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6: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:19:27 ID:BDFv
解説していくで

8: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:19:52 ID:e9gZ
信長の野望で見た名前がちらほらある気がする

11: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:19:54 ID:BDFv
磯野員昌
近江浅井家家臣
病気治癒のお礼として関東に下向した隙に斎藤家の敵領を通過して
お市を小谷城に連れ帰った策士。
のち織田家と敵対すると姉川では11段に構えた織田軍をすべて突破して信長本陣まで迫るが
朝倉家がヘボだったため敗戦。疑心暗鬼の浅井長政を裏切り織田家に降伏し
明智光秀、羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀と同格になるほど厚遇されるも
信長と口論して一線を退いたという。
なお本能寺の変くらいまで生きていたらしい

19: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:20:48 ID:BDFv
中村頼宗
大名というものが現れなかった岡山北部の武将
赤松家旧臣だったようだが尼子、浦上、三村などあらゆる勢力が入れ替わる
美作ではそんな過去は関係ない。
が宇喜多直家には反発して拠点の岩屋城を落とそうと考えた。
家来は32人
普通にやると勝てないが頼宗はSASUKEのごとく暴風雨の中断崖絶壁をよじ登り岩屋城を奪ってしまう

その功は毛利輝元にも称されるほどでそのご宇喜多直家は岩屋城を取り戻そうとするもすべて失敗
…が毛利宇喜多の和睦で岩屋城は宇喜多領となってしまい
頼宗はピンチに陥るが当時鞆の浦にいた足利義昭を動かして

無事毛利家の家臣となることができた
子孫はもちろん長州藩士である

21: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:21:19 ID:BDFv
斎藤利治
斎藤道三の最後の子という。
兄斎藤義龍が父を殺すと姉が嫁いだ織田信長の基に逃れる。
のち兄の一派を中濃から追い出しその土地を与えられ
織田政権下での美濃斎藤家嫡流となる。
織田信長の側近として主要な合戦にほぼ参加し天下布武に貢献。
畿内が落ち着くと織田信長と同じく姉が嫁いだ飛騨姉小路家を取り持ったり越中の斎藤家ともつながったり織田家の統治の中核を担う。
月岡野では上杉景勝軍を引き寄せては破り織田信長に歴代一の勇将と言われた。
天正十年六月十二日は織田信忠と共におり親戚斎藤利三に襲われた際
岐阜へ帰還を進言するも信忠は承諾せず自身も降伏勧告を無視し討死。

織田版真田幸村といったところ

22: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:21:37 ID:BDFv
木沢長政
河内守護畠山家家臣。ただし守護代遊佐氏を殺して浪人したという。
この頃畠山家と並ぶ有力家細川家も分裂しており細川高国に拾われるも
堺や将軍の血筋を抑え勢力拡大した細川晴元に鞍替えする。
細川高国が討死すると高国派重臣の首を土産に畠山家に帰った。
だがその奔放さを畠山家に恐れられ細川家重臣三好元長をリーダーに長政排斥の声が高まるが
細川家と仲が良かった一向衆を扇動し堺ごと三好家を燃やす。
のち一向一揆が大きくなると法華衆を扇動。法華衆が大きくなると比叡山を扇動などめちゃくちゃするのだがマッチポンプで一向宗や三好長慶を味方にした。
のちかつて殺した遊佐氏一族と同盟し畠山家自体を傀儡とし絶頂期を迎えるが
三好長慶、細川晴元、遊佐長教ら嘗て買った恨みが蓄積。
万事休した長政は将軍足利義晴を頼ろうとするも今までの経緯の上で全力で拒否され死亡。

24: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:22:13 ID:BDFv
湯川直春
和歌山の表のボスが雑賀衆鈴木孫一だとしたら裏ボスはこいつ。
紀伊守護畠山家家臣かと思われるかもだがそんなことなく足利幕府直臣である。
といっても父は畠山家に付いて三好長慶の弟三好義賢を討ち取ったのだが報復され討死。
この一戦でボロボロになった湯川家を建て直し中紀一の大名となる。
当時の和歌山は仏教勢力が強く各地の侍も寺社のボディーガードという扱いだったようだが
織田信長の時代に一向衆や高野山などの中世的勢力が徐々に解体されてゆき
足利家被官だった湯川家の存在がにわかに高まる。
本願寺降伏後雑賀衆の真言宗徒や高野山などと協力し畠山家を頂いて
紀伊一揆のトップとなった。のち羽柴秀長の大軍にも一歩も引かず、
秀長より家老への昇進を条件に出され降伏するも大和郡山で殺された。犯人は藤堂高とr

26: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:22:48 ID:BDFv
白井胤治
千葉県の由来である千葉庄を治めた千葉家の家臣。
千葉家は里見家に対抗するため敵の敵は味方理論で北条家と同盟するが
里見家も同じく上杉謙信を関東に召還した。
雪中で鍛えられた上杉軍は関東平野を席巻し
下総臼井城まで上杉謙信が迫ったが白井胤治は計略で対抗。
城門を全開にして突撃したとみれば城内に籠り
業を煮やした上杉謙信が突入を命じると城壁がにわかに崩れとがった木が植えてあった堀の中に上杉軍が転落。
勝機とみた白井胤治は再び全軍突撃して上杉軍を大混乱に陥れこの戦いは関東各地にて後世の語り草となったが
上杉家の記録には一切残っていないそう。

27: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:23:46 ID:BDFv
稲津重政
日向伊東家家臣
島津家に蹂躙された世代の家臣ではなく初陣が朝鮮出兵という。
伊東祐兵に付き従い太閤の下で戦は何かを学んだ。
関ヶ原合戦で大坂に居た主君に代わり日向で東軍への忠義のあかしとして
西軍に付いた高橋元種の支城で元伊東家本拠であった宮崎城を一日で落とし
黒田官兵衛も若衆に稲津重政を参考にするようにといったほどだが
高橋元種は関ヶ原合戦で東軍内応したため今までの戦功は無になってしまった。
のち主君の病死なども重なり藩内の邪魔物となり謀反するも破れ去った。

29: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:24:10 ID:BDFv
補足…稲津重政は関ヶ原合戦終了後も約一年間宮崎城に籠り島津家の軍勢を撃退し続けてたすごいやつやで。

34: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:24:44 ID:BDFv
松山重治
三好家家臣
堺出身であり大坂本願寺の警備員のバイトをして青春時代を過ごしていた。
のち堺に戻り尺八や歌など芸能を学び客人を盛り上げる「堺の名物男」と言われた。
堺を拠点に三好家再興を目指す三好長慶に目を付けられ流浪者や武家の次男三男を率いる軍団を任された。そこには松永久秀もいたかもしれない。
六角家や畠山家の軍団と戦い湯川直春の父を討ち取ったともいう。
のち三好家が没落するとまた堺に戻ったようだがその交渉力は織田信長にも買われ
のち高野山攻めにおいて高野山への使者を務めるとともに旧三好家軍団を率いたという。

39: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:25:56 ID:BDFv
桜田元親
桜田家は伊達家譜代家臣だったが天文の大乱で一族が分裂しさらにその後の所領を巡り一家離散した。
父の代に復帰し福島県内の本領を安堵され再出発を果たす。
関ヶ原合戦の前に上杉景勝が徳川家康と対立し最上領を電撃奇襲し
伊達政宗も困惑していたようだが最上側に付くことを決めた。
桜田家の本拠は福島城より南に位置しそこに兵を上陸させることで上杉家のかく乱を狙い桜田元親にその役目が任された。
前線の奥にて上杉家を攪乱し大軍をひきつけ撤退し仙台への侵攻を防いだまさにみちのくのマッカーサー。
のち先祖のように家老となるのだが仙台城下で上杉家旧臣に襲われたり
出向先の宇和島藩で最上家から来たやり手マンと対立したり大変だったようだが
最期となった寺での事故では自身を顧みず周りの人を避難させたその指揮は名将の面影を彷彿とさせた。

63: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:32:00 ID:k4Ra
ワイの地元には鵜沼の虎がおる?

61: 名無しさん@おーぷん 23/07/24(月) 21:31:21 ID:6hwC
超マイナーな武将になると本やWikipedia漁っても情報出てこんよな

元スレ: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1690201083/








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